ウルトラマンティガ・ウルトラマンダイナ
&ウルトラマンガイア 超時空の大決戦


 例えばブルース・リーが主演している映画に、面白い作品が1本もない…なんてことがあり得るのか? という話である。

 日石(だったっけ?)の冠映画『ウルトラマンゼアス』以来、実に久しぶりに見に行った円谷のウルトラマン映画である。こう見えても私は『ウルトラマンティガ』も『ダイナ』も『ガイア』も、全然見たことがない。映画秘宝EXの切通氏の批評などを読めば、どれもそれなりのクオリティを維持している作品であるらしいが、ここ数年TVを見るという生活習慣がなく、レンタルビデオ店にも中古ビデオを買う以外には全く近づかない生活をしている。何より「見なくても苦にならない」というのが一番の理由か。

 にも関わらず、とりあえず梅田松竹に足を運んでしまった理由は、前月行った『必殺! 三味線屋・勇次』で予告編を見て、特撮カットはそれなりかも、と思ってしまったことと、休日出勤に出ようと思っていた日曜日、体調を崩して思わぬ空白時間が出来てしまったからだ。関西版「ぴあ」のランキングによれば、公開9日で同日封切の『ガメラ3・邪神覚醒』を追い越しての堂々5位で、ついに『アルマゲドン』を射程距離に入れた劇場版『ウルトラマンガイア』であった。

 そして90分後、冒頭のような感慨を胸に、劇場を出た私であった。

 シリーズ第1作の放映当時、TV番組の再編成だけで構成され、『キングコングの逆襲』に併映された『長編怪獣映画・ウルトラマン』(監督:円谷一)を除けば、「映画版ウルトラマン」の歴史は意外に浅い。79年、当時大ヒットしたアメリカ映画『スーパーマン』の影響で、急遽製作された『実相寺昭雄監督作品・ウルトラマン』が最初である。これもTVの再編集で構成されていたが、何しろ実相寺作品ばかりのアンソロジーである。「悪い怪獣をウルトラマンがスペシウム光線で倒す」という王道から外れた作品ばかりをかき集めての90分は、見ているこちらもかなり苦痛だった。だが、意外に商売になることを知った円谷プロでは、すぐに今度は有名エピソードを編集して『ウルトラマン・怪獣大決戦』を公開、本作は私もTVでしか見たことがないが、それだけに単なる「TV番組」だった。バルタン星人のエピソードには新作カットも加えられたが、チャチい特撮に失望させられた。『ウルトラ兄弟VS大怪獣軍団 ウルトラマンZOFFY』では、そんな批判に開き直ってか完全にTVな作り込みで、ウルトラっぽい主題歌に懐かしい影絵オープニングを新作、古舘伊知郎アナウンサー(当時)による新作「ウルトラファイト」コーナーまで作ってしまった根性は、逆にコアなファンを喜ばせたかもしれない。円谷プロ10周年記念作品として製作されたためか、未だに円谷スタッフからエコヒイキされ続けているウルトラマンタロウの、これは少年時代の成長物語を描いた『ウルトラマン物語』は、それなりに予算もかけ、新作カットもかなりあったがスミマセン、つまりませんでした。無論この時期には、あの『ウルトラ6兄弟VS怪獣軍団』も製作されているわけだが、これはアレな作品で、とてもウルトラマンとは呼べるものではない。

 要するに昭和と呼ばれた時代には、これだけの「ウルトラマン映画」が製作・公開されているわけなのだけれど、君らこのうちどれだけ見たことある?

 もしかすれば円谷プロというのは、結局TV屋さんで、映画本編は無理なんじゃないの? という感想も抱いてしまうが、『怪獣大奮戦・ダイゴロウ対ゴリアス』とか『ウルトラQ・ザ・ムービー 星の伝説』あたりでは、それなりに映画としてまとまった作品を製作しているからますます不思議だ。

 以後われらのウルトラマンは海を渡り、アメリカでアニメーション映画『ウルトラマンUSA』を製作、オーストラリアで作られた「ウルトラマン・グレート」は京本政樹の公私混同な吹き替えを得て『ウルトラマンG ゴーデスの逆襲』『ウルトラマンG 怪獣撃滅作戦』の2本立で劇場公開された。特撮シーンはビデオ版から一部差し替えているらしいが、とにかく私はどれも見ていない。

 アメリカ版『ウルトラマン・パワード』(劇場版なし)を経由して帰朝したウルトラマンは、『ウルトラマンゼアス』で再デビュー。乱歩賞作家・長坂秀佳を脚本に迎えてのおならぷぅな内容の本作は、祖父の顔に泥を塗る『よみがえれ! ウルトラマン』と、タイトルさえ思い出せないウルトラ・サラリーマン・アニメの3本立で公開。ゼアスは懲りずに続編まで登場したが、もう見たくないから見てない。あと、『ウルトラマンティガ』で民放地上波に復活した毎日放送版ウルトラマン・シリーズで、改変期にティガとダイナが共演する映画をやっていたような気がする。無論、見てない。

 劇場版『ウルトラマンガイア』は、TV番組「ウルトラマンガイア」マニアのガキが、異次元から来た不思議な赤い玉の力を使って、高山我夢=ウルトラマンガイアを自分の世界に召喚してしまうという話だ。以上、自己完結

 インドア・オタクの主人公に対して、アウトドア・いじめっ子のガキがライバルとして配されるが、こいつらも実は怪獣オタクで、閉塞した現状を打破するために怪獣を呼び出してしまう。そこに美少女転校生が絡むのだが、彼女が実は「赤い玉」そのものという、判り易すぎるオチがぼくたちを待っている。いじめっ子が召喚した三大怪獣のパワーにガイア大ピンチというタイミングで、ウルトラ・オタクがティガとダイナを助っ人に呼び出すという展開だ。

 内気な少年が、ガイアによって「立ち向かう勇気」を教えられるというテーマが隠されもせず、餃子のタレに浮かぶラー油のように表面に浮遊しているのだが、話そのものはガキ向け左足脚本なので矛盾に満ちている。例えば、「何でも願いを叶える赤い玉」は、やがて世界を滅ぼすという理由で、赤い玉の本体である美少女は、自分が消えてなくなることを願ってくれるよう、涙を浮かべて懇願するという感動のラストシーンなのだが、思い返せば主人公のガキに向かって、「赤い玉の力を使ってガイアを呼び出す」ことを率先してそそのかしたのも実を言えばこのお嬢ちゃんだ。オトコのコはとりあえず美少女の言いなりになっとけよ、というのがテーマなのか脚本家の人。

 何でも願いが叶えられるマジック・アイテムの力を借りて、ウルトラマンを呼び出すことのどこに「勇気」があるのか、さっぱり見当がつかないし、いじめっ子が苦々しく放つ「いい加減、ウルトラマンなんか卒業しろよ、君ぃ」という台詞には、いつまでもウルトラマンを卒業できないオタクの自己弁護も読み取れる。このエネルギーの内向きなベクトルは、映画館のスクリーンにチャレンジするにあたって、何も新しいものを生み出さず、ただTVのために撮影され、なおかつ既に評価の定まった16ミリフィルムを繋ぎあわせただけの、過去の「ウルトラマン映画」の製作姿勢にも通じるだろう。そう、「ウルトラマン映画」は、この20年間、何の進歩もしていないのだ。

 例えば必ず登場する防衛隊などの組織や、ウルトラマンの変身母体がその組織の一員であるという約束事など、90分を超す劇場映画として製作する際には足かせとなる矮小な設定に苦心することは理解できないでもない。しかし、ウルトラマンというキャラクターは、少なくとも日本国民で知らない者は誰もいないという点で、そこらの俳優を明らかに凌駕しているはずだ。

 役名がビリー・ローであれタン・ロンであれ、「彼はブルース・リーである」という強烈な説得力があったからこそ、ブルース・リーは逸材だったのだろう。ウルトラマンの説得力は、それに匹敵する。彼を使いこなせる映画人はいないのだろうか。自ら仕切った小さな枠を、「子供の夢」などと言い訳せずに、新しい、映画として自立した「Enter the ULTRAMAN」は生まれないかと、私はいつも願っているのだが。



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