750万回の憂鬱


「昨日ミヤザキ今日オウム、明日は明日でサカキバラ」

 私はオタクである、多分。中森明夫が創作した言葉「オタク」は、当時、白夜書房で『漫画ブリッコ』を編集していた評論家の大塚英志をして

「これほどまでにあからさまに差別を目的として作られた言葉は珍しい」

と激怒させたものであるが、以来10数年、すっかり一般に認知されてしまった言葉なので、仕方なくこの言葉を使おう。私はオタクだ。

 以前、別項で「オタクと新興宗教と日本共産党は差別しても構わないとされている」と書いた。残念ながら、この歳になるまで宗教にはハマったことがないので、グランド・スラムとまではいかないが、オタクで共産党関係者(党員でも支持者でもないが)という私は、我ながら結構被差別度合いが高い。例えば就職。「あんたは○○地区出身だから採用しない」なんてことを人事担当者が言ったとすれば大問題になるが、「あんたは左翼だから採用しない」というのは、最高裁も認めているのだ、実は。

 ところで、「オタク」と「新興宗教と共産党」には、大きな違いがある。後者は思想の問題だが、オタクに忌避すべき思想などあるはずがない。

 オタクに対する一般のイメージは、列挙すると

てなところか。

 ミヤザキ事件が起きた時、親に「あんたは大丈夫やろね?」と言われた奴がいた。私自身も「普通の」友人から「ミヤザキくん」などという、大変誇り高い呼び名で呼ばれたことが、ざっと数えて250万回くらいある。次にオウム事件が起きた。「おまえ、オウムの信者やないんか?」とか「尊師」「アサハラ」などといった軽口に付き合わされたのが、やっぱり250万回くらい、で、今、「サカキバラ」呼ばわりされること、ざっと250万回。合計にして、ざっと750万回くらい、バカの軽口に望みもしないのに付き合わされているわけだ。

 こんな会話に一度や二度ならつきあってあげても構わない。だが、5回も続ければ流石の私も飽きる。これが人を変え場所を変え時間を変え・・・・・・事件発生から1ヶ月間、毎日だ、毎日!!

 例えば大洋ホエールズの中山が、幼女のパンツを降ろしたからと言って、野球やってるやつが野球やってるということだけで

とは言われないし、刑事では一応無罪になったがO.J.シンプソンが女房殺したからと言って、アメフトや喜劇やってる奴が

というギャグに付き合わされることはない。

 ところが、オタクの場合はそのテの会話に毎日延々付き合わされた挙げ句、

で、一方的にブッタ切られてしまうのだ。

 敢えて言おう。オタクは現代の賎民である。

 だいたい、今日(1997/6/26)現在、逮捕もされていなければ指名手配もされていない「サカキバラ」が、本当にオタクかどうかは分からない。その可能性が高いのかもしれないが。

 しかし、どっかの新聞には「サカキバラが参考にしたと思われるビデオリスト」とかが載っていて、何を根拠に決めたのか知らないが、ソレ系残酷ホラーが列挙されていながら、ゾディアック事件をモデルにした、クリント・イーストウッド主演の『ダーティ・ハリー』はない・・・とか

 サカキバラが声明文に使った「○に+」のマークが、誰がどう見てもゾディアックのマークの模倣以外には考えられないのに、「マンガ『ファイブスター物語』に出ていた」とか、「TVゲームの隠れキャラだ」とか・・・・・・そこまで言うなら、「旧薩摩藩主島津家の家紋に似ているので、島津家の人間が怪しい」とか言ってもよさそうなものだが、そういうのはない・・・とか

 果ては犯行声明文がワープロで下書きされていたらしいことを理由に、「サカキバラはパソコン・オタク」

 バカか?

 様々に考えられる要素の中から、「オタク寄り」な情報だけを拡大して流しているだけではないのか? 関東大震災の直後、「朝鮮人が井戸に毒を流し込んでいる」と、まことしやかに報道した大正時代のバカ新聞とどこが違う?

 無論、一般市民はこれで安心はするだろう。犯人は「普通じゃない」「特殊な」オタクなんだからな。私の住む近所でも、女児にイタズラするバカが出没しているらしいが、とりあえずこれも「オタク」の仕業ということにされている。その内「オタク狩り」でも始まったりしてな。

 まあ、そうやって躍らせるマスコミも「報道の自由」だし、躍らされるバカにも人権はある。いつまでも事件の不安が解消されない、そんな社会のうっぷんを晴らすためには、オタクの一人や二人、毎日バカにされ続けるのもいいもんである。

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Aftercare 97/06/28 須磨事件容疑者逮捕

 セガバンダイに続いてまたかい、という感じである。マスコミを中心とした「犯人当てクイズ」は、ほぼ見事に全敗したわけだ。つまり、彼らの流してきた興味本位の「オタク」情報は、全く無意味だったことになる。「報道」っていったい、何?

 もっとも、翌日のスポーツ新聞では、懲りもせずに「A少年」を何とかオタクに仕立て上げようと必死だが。バカもほどほどにせえよ、と言いたくなるが、それはさておく。

 各局が土曜の夜を特番に充てていたが、ここで私は苦いものを見た。須磨警察署前に殺到した野次馬、神戸市須磨区民である。

 中継カメラ前に殺到し、テレビ局の記者を押しのけてまでカメラのフレームに割り込み、VサインやFuck Youサインを送るバカ多数。いかにもバカそうな若いバカから、いい年こいたおやじ・おばはんのバカまで。バカは警察署前に止まらず、被害者宅のマンションから、果ては惨殺死体の放置されていた中学校校門前にまでところ構わずバカばかりである。

「不安な毎日を過ごす付近の住民」・・・・・・ってのは、ウソだったのだな。こいつら、事件を、「近所の子どもが殺害され、遺体の首を切断され、挑戦状とともに路上に放置された事件」を、思いっきり楽しんでいやがる。

 小学6年生の男児が殺害され、死体を切断されて遺棄された事件について報道するTVカメラにVサインを送り、中指を立て、ケータイで連れに「オレ、今TVに映っとんで」と電話しているわけだ。

 ・・・・・・どうやら「サカキバラ」は、殺すべき対象を間違えたようだ。節度もなく、恥も知らず、あの晩TVに割り込んだバカどもを、これからも生かし続けておく意味が何かあるのか?

 ただ、奴等があれほどまでにお祭り騒ぎするほどに、この痛ましい事件を「面白おかしく」装飾し続けたのはマスコミであろう。そして、マスコミが垂れ流すクズ情報に、「現実と虚構の区別がつかず」、「生命の尊厳を実感できずに殺人をゲームとして楽しんだ」のは、奴等「非オタク」の一般人なのだ。

 「サカキバラ」は、「一人の人間を二度殺す」と書いていた。逮捕の夜、被害者の少年の生命の尊厳は、バカな野次馬どもによって、確かにもう一度殺されていた。