IT地球を征服す IT Conquered the World

 『立花隆先生、かなりヘンですよ −「教養のない東大生」からの挑戦状−』(谷田和一郎・著/洋泉社)を読んだ。本作はそのオビに「『知の巨人』はトンデモさんだ!」とあるように、立花隆の著作から明らかなミスや勘違い事項をあげつらったうえで、その思想の本質に迫るというものである。本作や一連の「トンデモ」本のように、最近の若い連中は、嬉々として他人(しかも多くの場合は年長者)の揚げ足を取りたがる、全く困った風潮であると私も憂いを深くするものである。←おまえが言うな(笑)

 実のところ、立花隆の著作は1冊も読んだことがない「教養のない元○大生」の私としては、インターネット関係を中心に、立花隆がどんな奇説を展開しているのかと期待して読んだのだが、残念ながら元経済企画庁長官・堺屋ちゃんほどバカ笑いさせてくれる記述はなかった。ハイパーリンクがテレポーテーションだとかムチャクチャなことは言ってるみたいだが。インターネットがやがて個々人をネットワークして巨大なグローバル・ブレインの一神経細胞となし、やがて地球自体がガイアなる意識を有して他の惑星とのコミュニケーションを…あたりの話になると、笑うのを通り越して怖くさえある。まあ、この辺は私も原典には直接あたらずに孫引きしてるだけなので、興味のある方は読んでいただければ良いのではないかと。

 思えばインターネット・ブームが「IT革命」と呼ばれた時期があった。政府が旗振り知識人(もちろん立花君や堺屋ちゃんも含む)が煽りageして、気がつけばバブルが崩壊していた、というアレである。今やIT不況という有り様で、電機業界では万単位のリストラである。わずかに今もなお、ひっそりと開催されているのであろう「インパク」に、「IT革命」の残滓が確認できるのみであろうか。まさに正体見たり枯尾花の風情ではある。

 「IT革命」が幽霊であったことと、我が国における主要な論客(と言って支障ないと思うのだが)である立花君と堺屋ちゃんが、共にインターネットをちゃんと理解していなかったこととは、実は無関係ではないのではないか。今回、本作を読んで、私はさらに数年前に話題となった、ある書物を思い出した。

 それは三好万季『誰が四人を殺したか』である。

 和歌山砒素カレー事件をテーマに、事件発生当初の「食中毒」報道に疑問を持った当時中学生の著者が、インターネット(多分Yahoo!)を使って独自に調査し、毒物中毒であると看破する内容である。

 中学生の作文としてはよく出来た方であろう。断定口調の偉そうな物言いなど、内容についてはいろいろ言いたいこともないではないが、ここでは置いておく。ただ、本作が大人の読者を驚かせたのは、著者が中学生だったということと共に、「インターネット」を使ったという部分が大きかった。

 インターネットを使えば、中学生でもここまで調べ上げることが出来るのか…と。事実、著者の三好嬢も、インターネットを使えばこんなに簡単に調べられることを、どうして医師達は行わなかったのか、という点を論の中心としている。

 三好嬢の使った方法は、フシギでも偉くも何ともない。検索エンジンを使ってWeb内を文献横断的に調べていくというのは、インターネットを普通に使っているものならば誰でもやっていることだし、それが出来なければ、インターネットを使う理由はほとんどないと言っても過言ではなかろう。第一、インターネットっていうものは、そういう使い方をするために作られたものではないのか? インターネットを普段から使っている側からすれば、逆にいい大人が三好嬢の著作に驚く理由が判らない。多分、現場の医師達が犠牲者の出る前に毒物中毒の可能性を疑ってYahoo!で検索しなかったのは、現場の混乱と事件の特殊性ゆえで、別にそこにインターネットを使える者が一人もいなかったからではないだろう(なにしろ、三好嬢が「食中毒」報道を疑った契機というのは、カレーの主成分であるスパイスはもともと漢方薬なのだから、カレーを食べて食中毒が起こることなど有り得ない、という大変に聡明な思い付きからである)。

 で、立花君とか堺屋ちゃんというのは、やっぱり三好嬢の著作にびっくりしちゃう方のヒトタチなんだろうなあと。なにしろ、リンクがテレポーテーションだからねえ。

 「IT革命」が有名無実だったかと言えば、そこまで否定して良いかは疑問である。コンピュータとインターネットの普及によって、思考作業はかなり効率化されたという実感はあるからだ。インターネットがグローバル・ブレインとまで言えるかどうかは知らないが、少なくとも使い勝手の良い外付けハードディスクくらいの役割は果たしているのではないか。昔なら何冊も書籍にあたらなければ手に入らなかった情報が簡単に入手できるし、また、本にして出版されるなど考えられない情報にもアクセスできるようになった。例えば、検索の結果私のページにたどり着いたおかげで、『重機動戦線メカノイド』のビデオを購入しなくて済んだ人も一人くらいはいるかもしれない。したがって今後のインターネットの発達、より些末な情報の充実には大きく期待をするが、インターネットの便利さはその程度のものであろう。人によって、機会によって利便性の程度は異なるだろうが、逆に言えば、インターネットそれ自体が何かの価値を有していたり、また何かの価値を生み出すものではない。

 そこのところを理解できない大人たちによって、「IT革命」と称された空騒ぎが展開されたのではないだろうか。判らないから何かすごいことのように思えて慌てる、古代人が皆既日食に世界の終わりを見たようにだ。肯定派は何かかとても素晴らしい未来(但しその内容は、やっぱり判っていない人が語るので、てんでバラバラ)が訪れると思い、否定派は自分達の愛してきた美しい伝統と文化が滅びるのではないかと嘆く。空騒ぎの終焉は……「慣れ」によって訪れるのだろう。ITバブルの崩壊は、結局日本人が、インターネットが存在する社会に慣れつつある、健全な流れではなかろうかと思う。

 もっとも、マスコミは未だに「メル友殺人」や「インターネット・オークション詐欺」を特別に扱ったりしている(過去に、文通友達を呼び出して殺した事件とかはなかったのか)など、インターネットや電子メールを何だか特殊な、変わった、普通でないものとの認識は根強いようだ。考えてみれば、ハリウッド映画ですら、携帯電話やインターネットを、普通の人が普通に使っているようにちゃんと描写が出来ている作品は、けっこう少ないようにも思える。

 しかし…と言うか、それにしても…と言うか、数にして決して少なくはないおじさんたちが、どうしてインターネットを「どのようにして使うか」「何のために使うか」といった次元の部分で、いつまでも理解できないのか、そのこと自体が私には理解に苦しむところではある。

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