先生方
左から
藤蔭会吉田会長,野田先生,橋本先生,鳥居先生,立入先生,森山先生,柚木先生 |
同窓会報告
去る、1998年8月15日(土曜日)、関西ではお盆、53回目の終戦記念日でもある真夏のこの日に、我々昭和43年3月卒業生の卒業30周年記念同窓会を、いばらき京都ホテルで行いました。
この日のために、私達は、準備幹事会を約1年半も前からスタートさせました。
幹事は各クラス平均2名程度で、名簿の整理からスタートしました。藤蔭会にあった、最新の名簿をお借りし、そこから43年卒者だけをパソコンに入力し、クラス毎に並べ直した住所録を作りました。
これを印刷した名簿を元に、各幹事が住所を確認していきました。ほぼ名簿が固まったと思われた、約半年後の1997年11月、翌年同窓会開催の予告状を発送しました。
しかし私のクラスは思ったより、住所変更が多く、毎日毎日、宛先不明・配達不能の葉書が帰って来ました。それを見る度、ガッカリの連続でした。
しかしその後、平成10年の年明けに併せて、住所の確認できた人には年賀状も発送し、多いに同窓会への参加を盛り上げることが出来ました。
年明け早々には、思ってもいなかった三年卒業時の担任、富村先生の訃報に接し、お驚きと同時に、同窓会を直前にした御他界に落胆いたしましたが、逆に、お通夜、お葬式では級友と再会して、同窓会に向けての相談もすることができました。
予定の日取りも近付いた、平成10年「藤蔭まつり」には、幹事全員が出席し、多いに藤蔭まつりを楽しんだ後、場所を茨木市民会館の会議室に移し、最後の打ち合わせと、最終的な案内状、会費の振込票、会場の地図、を発送しました。
我々の世代は、人数が最も多い団塊の世代真っ直中で、同窓生はほぼ600名、その内、夭逝された方がほぼ20名、最終的に住所不明者がほぼ100名、残り約480名に案内状を発送いたしましたが、果たして何人ご参加頂けるか全くわからず、まあ控え目に100名の参加があれば成功かと、予算をたてました。
蓋を開けてみると、振込締め切り日を過ぎても、申し込みは約70名、これは一体どうしたことかと、非常に驚き、落胆しましたが、しかし実際にはそれからが本番で、次々と申し込み、幹事への問い合わせ、新しい住所判明の通知が到着し、締め切りから当日までの約1ヶ月に参加者がほぼ、倍増し、140名になりました。中には、住所不明のままで、どうして案内状と会費振込票を入手したのかわからない友人もあります。ちなみにこの人はどうして入手したのか未だにわかっていません。
当日は幸い、非常な好天に恵まれ、8月真っ直中とはいえ、そう暑くもなく、絶好の好天でした。遠方から駆け付けた人にも、良かったと思います。
11時のスタートに、我々幹事は早々と9時から会場入りして、準備を始めました。
10時頃になると、ボツボツ早い人が集まり始め、会場前ホールが歓喜と熱狂、雑踏に覆われてきました。しかしやはり、30年のブランクは如何ともし難く、打ち解けるまでやや間の必要なグループもあったようです。しかし打ち解けてからはもう、完全に高校生に戻ってました。
当日まで何の連絡もなく、当日いきなり会場に現れた友人も約10名有りました。
私自身、次から次と、入れ替わり立ち替わり、挨拶、話、乾杯、握手、の連続で、一体誰と会って、誰と話をしたのか、後になって全く覚えていない程です。
クラス単位で写真を写し、先生に記念品をお送りし、それから誰が言い出すともなく、2年のクラス単位でも写真を写しました。
私自身もそうですが、やはり2年のクラスには、3年のクラスとはまた違った感情を持っている人も多いようです。
会場の都合もあり、後半は場所を8階のレストランに移しました。
こちらは非常に狭かったですが、その分、やっとゆっくり座り、落ち着いて話し合うことも出来ました。
自分が焼いた自然食品のパンを皆に振る舞って披露する者有り、歌を歌い出す者有り、お茶とお菓子を分け合うグループあり、非常に楽しかったです。
予定時間はアッと言うまで、「まだ何もしてないやん」と思いましたが、仕方が有りません。1階まで降りて、グループ毎に二次会、三次会と分かれていきました。
私達のグループは高校を見に行こうと、4、50人、高校へ移動しました。建設中の校舎や、昔の校舎を見ながらまた、ひとしきり、昔話に花が咲きました。
元陸上部の人は裏手のグランドへ行き、思い切り感慨深げで、今にもトレーナーに着替えて走り出すのでは、と思ってしまいました。
その後、カラオケに行ったグループ、レストランに行ったグループ、寿司屋、居酒屋、色々散らばって行ったようです。
有るグループでは、当日来ていなかった者を、誰かさんの指名に従って、次々と携帯電話で呼び出し、本番以上に盛り上がったグループも有ったとか。本番は単に前座に過ぎず、終わってからの夜の部が本番、と言うグループも有ったようです。
最初から、昼間の「正規版」には来るつもりは無く、終わってからの、夜の「アングラ版」にだけ来る積もりだった者も居るとか居ないとか、まあ幹事としても、別に皆様が最高に楽しんで頂ければそれで本望で、前座の準備でも何でも全然、構いません。
写真もたくさん写しました。私はセピアバージョンの写真を写しました。綺麗にとれていると喜んで貰えました。
丁度、一ヶ月後の9月15日に、最後の幹事会、兼幹事慰労会、兼幹事解散会を行いました。
決算を確認し、藤蔭会誌への掲載を依頼し、写真を持ち寄って、発送しました。
この幹事会も約1年半にもわたって、非常に仲良く、うまく団結して同窓会準備を進めることが出来、皆さんに感謝し、解散への名残が尽きませんでした。そこで幹事解散会も二次会、三次会と盛り上がってしまいました。
その後は、2年のクラス毎の同窓会が行われており、2年10組のクラス会が11月に、2年3組のクラス会が、新旧両校舎の同時見学と忘年会を兼ねて、12月13日に藤蔭会館で行われました。クラスの壁を超えて他クラスからの飛び入り参加も大歓迎を呼びかけた所、多いにご参加頂き、大変な盛会になりました。
8月に都合で参加できなかった人も大勢参加していただくことができ、多いに喜ばれました。また、このクラスでは10有余年後、「還暦を過ぎたら二回目の修学旅行をしよう」と計画がまとまりました。他クラスとも合同して、多いに結束を固め、二回目の修学旅行に向けて計画を、盛り上げていきましょう。
今後、他の2年時クラス、3年時クラスでのクラス会、クラブ毎の同窓会も計画されているようです。
次回の学年全体同窓会は「10年後なら生きてないよ!」の一声で、5年後に行うことに決定しました。
皆様、ご健康に留意され、5年後に再会しましょう!
お元気で!
中川博満(幹事3−8) |