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から見る母校の変遷

   (写真は創立80周年記念誌から)  あなたも母校を語ってみませんか

s30年代頃

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駅前ビルの建っている場所はまだ池だった。
s45年の万博を契機に国鉄茨木駅と周辺、及び道路などが新しく造られていく。母校の周りは大部分が田圃であった。
また、藤蔭会館は本館東端の裏(北東角後の食堂の位置)に趣のある木造家屋としてあったように思う(違っていたらご指摘下さい)。

s40年頃

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記念誌ではこれを万博後の写真として紹介されていたが誤植であると思われる。右手前(正門近く)に4号館でなく木造の剣道場がまだあるので、s40年以前の写真である。北グランドの右側(後に新体育館ができた位置)には農業科の実習田が見られる。本館右手の上(北東)に独立した木造の「藤蔭会館」がある。
また、プールの右側には、まだ藤棚がある。現在は旧正門右手の「藤蔭の庭」に一部が移されており、旧本館職員室前廊下に飾られていた福井先生の描かれた絵(当サイト「旧本館写真」ページ)で当時の面影を知ることが出きる。

 s48年12月頃

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万博(s45年)の後で、茨木の街並みも大きく変わりつつある。北グランド(右端)の手前に新体育館が、その左に新食堂が建ち、校門(左端)に入った右手には図書室のあった新校舎がある。ピン館とはこの校舎の色を指して言っているのであろうが、いつ頃からそのように言われ出したのだろうか?

s51年12月頃

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プール(正確にはテニスコート)の北側(右端)の鉄筋校舎(本館と2階部分で渡り廊下があった)の更に北(右)隣に、L字型の2階建て木造校舎がまだ残っている。ここに普通教室の他に地理教室もあった。北グランド側にはミシミシと軋む、2Fからそのまま外へ出る長い階段があった。小プール左には温室が見られる。

s60年頃

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これがほぼ、昭和13年から60年かかって、完成された母校の容姿であるといえる。
現在は、プール右横の新6号館を除いて、全て解体されている。

あなたも母校を語ってみませんか

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