私設Web同窓会 思ひ出の大阪府立春日丘高等学校


甲子園出場
1982(s57)年<注>写真は創立80周年記念誌から

春日丘高校応援の掲示板

  

まず大阪大会優勝! 

準々決勝 6−5 対 PL学園 
準 決勝 2−1 対 大成高校 
決  勝 9−1 対 近大附属高校 

 
大阪大会決勝戦では、日生球場に駆けつけた卒業生だけでなく、多くの卒業生がTVの前で声援を送った。 やがて、優勝が濃厚になるにつれアナウンサーの声も一段と大きくなっていった。そして優勝が決まるや、号外が出される大事件扱いであった。 
その後、「公立の星・春日丘」と新聞に大見出しで報道されたことでも、あの熱き思いが決して春日丘の卒業生だけのものではなかったことがわかる。 
 

 

 

 

夏の甲子園 (1982(s57)年)

堂々たる入場行進.....実によく健闘した。 
高槻にある卒業生の経営する某旅館を宿舎とし、そこから甲子園へ通う。 

1回戦(8/10) 3−2 対 丸子実業 
2回戦(8/14) 2−6 対 法政二校

 

 

 初出場ながら一回戦を突破。が、残念ながら二回戦で負ける。 応援団には各地から駆けつけた卒業生もいた。また、野球部OBたちもインタビューを受け、 その熱き思いが新聞に載ったりもした。
音納正一さん(s43卒)もその一人だ。 仕事で多忙ながら少し語っていただいた。
 

春日丘高校野球部追想 音納正一

 私ども春日丘高校野球部OBとしては、昭和57年甲子園出場の際は、まさかの出場と、1回戦勝利と言う快挙に、ひと夏の間、えもいわれぬ興奮に包まれていた。  
 思い起こせば、私が入学したときは、我が校野球部は新2年生が6人だけで、我々新1年生部員の加入でやっと試合が出来るようになったと喜んでもらった。  
 そのような状況の我が野球部が甲子園出場を果してくれたのだから感無量である。往年の先輩方の培ってこられた伝統とまた、神前監督の熱意と指導で実現できたのであろう。  
 私の前後3〜4年の先輩、後輩の顔ぶれの中では、S42年卒の松木さんは、素質抜群で、中学卒業時点で 京都平安高校等当時の野球有名校から誘いを受けられた先輩である。  
 その松木監督率いるチームがS44年夏の予選でベスト8になった。 その年の3年生は粒ぞろいで、(S45年卒)橋本、福山、山本ら優秀なメンバーで、中でも橋本さんは大阪球場での豊中高校戦では延長10回か11回劇的なサヨナラホームランを打たれた。  
 松木監督のあと監督はS45年卒山本さん(投手)、次にS42年卒吉田さん(柔道部)が監督を引き受けてくれ、吉田監督の時代に選手として神前監督がいた。 そのような足跡が、神前監督率いるチームが甲子園出場を果した力の一因であったかと思われる。